思い出せる限り、最低でもここ5年くらい、日本人の仕事へのモチベーションの低さ、つまり働く意欲の低さは世界最低水準である。米国GALLUP社の調査”State of the global workplace”の結果では、日本は、実に、G8諸国の中で最下位の従業員エンゲージメント率を誇っている。そして、アジア圏においてもダントツの低さだ。日本企業の従業員エンゲージメントが世界レベルで低水準 (jobscope.ai)
これより低い国はどこだろう、と逆に気になってしまうが、2022年の最新調査では、145か国中、なんと日本は、イタリアと並んで最下位であった。イタリアといえば、働いている人は5人に2人以下の国であり(日本は2人に1人:2022年)
就業者数の推移(1980~2023年)(イタリア, 日本) – 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)
失業率も高い国だが、1人当たりのGDPを比べると、日本はイタリアの1.2倍しかなく、非常に効率の悪い国であることがわかる。日本人はみな、人生の3分の1を嫌々働きながら生きているのだろうか。
このモチベーションの低さの理由をAIに聞いてみると、3つほどその理由が出てきた。
1つ目は、目標管理制度の問題。日本企業の評価制度が、短期的な目標設定を重視しており、それに基づいて評価がなされてしまうという点だ。これにより、従業員は、すぐに結果が出ないと評価に結びつかないため、自身の目標や希望を持ちにくくなり、それによりモチベーションが低下するという。
2つ目は、上司の問題。上司が部下の意思や夢を尊重できないという傾向があるということだ。1つ目の理由とも関係するが、短期的な目標設定に縛られ、部下に挑戦や長い目で見ての成長を促すことができなくなっているという点である。
3つ目は、経済環境と報酬である。日本の給与が、戦後上がっていないことは周知の事実であり、そんな環境で「頑張る」ことが魅力的ではないというのは、至極納得できる状況である。働けど働けど暮らし楽にならざり、100年前と今、さほど変わっていないと言える。
この3つをまとめると、つまりは、会社のために結果を出しても出さなくても、自分のためになるという道筋が見えない。だから、やる気にならない、と言えよう。
いくら残業して結果を出しても、ほかの社員よりもアイディアを出しても、何のためにそれをやっているのか、働けど働けど、その甲斐なし。自分の値打ちがない、と言われているのと同じ状況に陥っていると言える。やっても、やらなくても、結果はさほど変わらないと、悟っている人もいるだろう。同時に、自分の価値を認められたい、給料のみならず、感謝の意や何らかの形で還元されたいと考える人もいるだろう。
そこで、キーになってくるのが多様性である。今日、多様性を意識しない日は少なくなってきたが、多様性とは、異なる人種や性別を認めることだけでなく、働き方においても、あてはめて考える必要がある。
ある人は、求められたことをこなし、基準である賃金をもらうことに価値を見出す一方で、残業もこなし、結果に見合った報酬を貰うことに働き甲斐を見出す人もいる。
「私、定時で帰ります」も「納得いくまでやっていきます」も、自分の働き方と働き甲斐の多様化だと考える。それを、会社にコミットし、会社もその多様化を認めること、働き方の多様性を受け入れることが必要であると常日頃から考える。
シニアの起用も多様性の一つだ。やりたい人、できる人に、成果を反映した報酬を与えることが当たり前になるような社会ができれば、非常にフェアな世の中になると思う。
建築現場で、まだまだ働きたい、働くことができるシニア層を雇用することは、少なくともネガティブなお仕着せではなく、ポジティブな価値観で仕事と向き合え、人材不足に、技術面、知識面、経験面から効率よく応えることができる。そして、成果を評価する報酬も与えてこそ、働く人への活力、モチベーションに跳ね返るに違いない。
リンダ・グラットンとアンドリュー・スコット著「LIFE SHIFT」の中でも、触れられているが、高齢化、長寿国がネガティブな連想としか結びついていない我が国において、働く側も、雇う側も、そしてそれを取り巻くステークホルダーのすべてが、長寿大国の恩恵を最大限に浴するため、働き方自体を見直さないとならないのだが・・・。残念なことに、かつて存在した「人生100年時代構想推進室」は廃止されてしまった。人生100年時代 – Wikipedia
これは、真にその言葉が響いている人でないと、何も変えられないということを意味していると思う。少なくとも、響いている人間としては、ボトムアップで、推進していきたい。
以上、現場からお伝えしました。[/]